逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるだろうか…理性をゆるがす愛があり、罪にもそそぐ光があった--心ゆさぶるラストまで息をもつがせぬ傑作長編。
出版社:中央公論社
冒頭からぐいぐいと読み手を引っ張っていく作品だ。
ここで描かれているのは愛人の娘を誘拐し、逃亡生活を続ける女の話なのだが、その生活のディテールが丁寧に描かれている点が、物語に惹きつけられた要因かもしれない。
そこで描かれている乳児を誘拐した女、希和子の生活は見るからに危うい。子供を育てるという点では、決して好ましい状況ではないだろう。
だが薫と名づけた愛人の娘を、希和子は本当に大事に育てている。
彼女が犯した行動は基本的にまちがっていると断言できるのだけど、彼女が本物の母親のように愛情をもって少女と接している点は、どうあっても否定できないのだ。
そのため、単純に希和子を責める勇気が持てなくなる。
心のどこかで、希和子の生活を応援してあげてもいいかなという気持ちも、まったく湧かないわけではない。
だがそんな彼女の逃亡生活が長く続かないことくらい、誰もがわかるだろう。
そのため、文脈から適度な緊迫感が漂っていて、なかなか忘れがたい。
希和子はやがて予想通り捕まり、少女は実の親の元へと帰ることになる。裁判により、希和子の有罪が確定し、世間的にはそれで事件のすべてが終わる。
だが当然、関係者の人生はそれですべてリセットされるわけではない。
誘拐された少女、恵理菜の人生はその後も続き、事件の影響も彼女を襲い続けることになる。
それらは決していい傾向とは言えない。
恵理菜は長じて後、そんな悪い状況をつくりだした希和子を憎むようになる。
自分が望んだわけでもないのに、たった一つの事件のため、その後の人生に悪影響が出る。それは本来的には悲劇だ。
そのため、恵理菜が希和子を憎んでしまう気持ちはわからなくはない。希和子の愛情を知っているだけに、少し悲しくはあるのだけど、恵理菜の感情が正当なのは理解できる。
だがどんな事態が起き、どんな感情を抱こうとも、人間は自分自身を引き受け、生きていかざるをえない。
恵理菜は希和子を確かに憎んでいる。だが当の恵理菜が憎むべき対象の希和子を愛していたという事実自体は否定できないのだ。
そもそも、自分の身に起こった不幸や、自分が持っていないものを数え上げても、そこに意味はない。
自分の身に起こった不幸ですら、自分自身をつくり上げるパーツであり、自分という存在そのものでしかない。
それを否定することは、自分自身を否定することと同じなのかもしれない。
最後に人ができることは、あるがままを受け止めながら、生きていくしかないということなのだろう。
たとえば自分自身ががらんどうだと感じていても、それでも生きていけるし、自分を傷つけるような過去を持っていても、それでさえ、未来を生きていく力を与えてくれるかもしれないのだ。
そういう風に考えると人間は何だかんだ言って、強い生き物なのかもしれない。
読み終えた後には、そのような人間の底力とも言うべき、ポジティブなものが感じられ、心に残った。
『空中庭園』や『対岸の彼女』もすばらしいのだが、本作も非常に底が深い作品である。
角田光代の実力を堪能できる一品だ。
評価:★★★★★(満点は★★★★★)
そのほかの角田光代作品感想
『対岸の彼女』
とても、良かったです。
何よりも、恵里菜が、誘拐犯によって家族がおかしくなったのではなく、もともとおかしい家族であった。
そう感じ始めたところが、とても素敵でした。
愛情豊かに育てられた4年間が、恵理菜にとっても誘拐犯の希和子にとっても大きな支えになっている。
そんな印象を受けました。
法にふれる罪と法にふれない罪が、氾濫している世の中です。
私も法にふれない罪を、多くしていると実感しました。
(不倫をしたり、いたずら電話をしたりはしていません・・・・笑。)
そんな自分を振り返りながら、明るく強く生きていこうと思いました。
言われるとおり、角田光代さんの作品は、明るく前向きなので、内容がハードでも、とても元気になれる作品です。
『八日目の蝉』もいい作品です。今年読んだ中では上位に入る作品でした。
角田光代は本当にいい作家だと思います。
前半もいいけど、後半もいいんですよね、この作品。ラストで前向きな感じがあるところがいい。
世間的に見ればひどい犯罪でも、愛情があったから、当人たちにとっては支えになっている、って感じが印象的でした。
法にふれない罪は、多分僕も普通にしているんでしょうね。まあ小さい程度なら。
それも含めて、強く、あるいは図太く生きていくんでしょう。